山形にUターンしながら
サテライトで東京の仕事をこなす

/ 更新日 / 2020.03.20

渡邊信生さん

株式会社ベーシックはWebマーケティング分野とメディア分野でインターネット事業を展開するテクノロジーカンパニー。その東京本社に勤務していた渡邊信生さんは2009年に地元山形へUターンし、2011年には同社の「山形ラボ」を立ち上げ現在に至ります。「自然豊かな環境で子育てしながらIT業界の最前線で成果を出し、まちや人とのつながりを楽しみ、自身の職能を生かしてまちに貢献したい」と渡邊さんは語ってくれました。

──Uターンを考えたきっかけは?

渡邊さん:2人目の子どもが生まれて、ゆったり子育てがしたいと考えるようになりました。東京でのマンション生活では、子どもたちの足音や周辺の騒音トラブルにストレスを感じていましたから。田舎の一軒家での暮らしなら、子どもたちは思いっきり走り回れますし、子どもと過ごす時間も長くなるだろうと思いました。

──Uターンしても東京の仕事ができる、というのは大きな希望ですね。

渡邊さん:リモートワークという言葉がまだない時期で、会社にも前例はありませんでした。私はサーバーなどのインフラに詳しかったので、会社の業務のなかでもコアな部分を担っていましたから、会社としても手放すわけにはいかない、と思ってくれたのかもしれませんし、また、会社との信頼関係があったからお互いに納得のいく交渉ができたのだと思います。社風として、型にとらわれない、自由な発想を持つ会社であったことも大きな理由だと思います。

──リモートワークにおける心構えとは?

渡邊さん:自分がやるべきことを見つけられるか、でしょう。主体的な働き方をすること。そして結果を出すことが、会社との信頼関係につながっていきます。また一方で、これは特にIT業界での話ですが、エンジニアの数が需要に追いついていないために、地方で人材をとる動きが出ています。そうなると、働き方ももっと多様化すると思います。少し前までは、同じ場所に住み続けることが当たり前でしたが、いまは世界中のいろんな地域に移動して、場所にとらわれない生き方が増えていますよね。リモートワークをする場所も、ひとつに限定する必要がない、となるのではないでしょうか。

──拠点としての山形の魅力とは?

世代や属性などの垣根なく、人と繋がりやすいこと。権力や地位もあまり関係がなく、まちには企業の社長が 歩いていて、学生さんもいて、コミュニティの場に議員の方が参加されたり、市長と気さくに接することがで きたり、お互いが気軽に接点を持てるんですね。そんな状況を大都市でつくるのは難しいのではないでしょうか。

(つづく)