地域とつながりながら働くということ

/ 更新日 / 2020.05.30

伊藤美香子さん

山形暮らしを楽しむ山形移住者インタビューのシリーズ。今回のゲストはカメラマンの伊藤美香子さんです。

岩手県宮古市生まれ。大学にて幼稚園と小学校の教員免許を取得するも、上京してプロカメラマンに。東京を拠点に雑誌や広告などで約10年にわたり活動したのち、2018年の秋に山形市へ移住。個人的な活動として、伊藤さんが撮った写真をキャンバスにして子どもたちが絵を描くワークショップ「しゃしんおえかき」も開催しています。山形を舞台に伊藤さんが仕事で感じる変化や日々の生活についてお話をうかがいました。

──山形へ移住したきっかけは?

夫の地元が山形市で、夫の家族の都合で山形で暮らすことになりました。3年くらいは東京と山形で別居婚をしていて、毎月1回くらい山形に来ていたので、どんな環境なのかはなんとなくイメージできていたつもりでした。

だけど、いざ住むとなるととても不安でしたね。訪ねて来ているときは気が楽だったけど、暮らすとなるとイチから築いていかないといけない。一番の不安は仕事でした。はたしてフリーのカメラマンとして成り立つのか。

移住する前から少しずつ山形の会社に営業をして、はじめはちょっと難航したのですが徐々にお仕事ができるようになってきました。いまはタウン誌や新聞社、印刷会社やメーカーさんの現場などで撮影しています。

──仕事のスタイルに変化は感じますか?

山形では、たとえ仕事の現場であっても、カメラマンである前にひとりの人間として自分が存在している気がします。専門性やプロとしての腕はもちろん大切ですが、それ以前に私が誰であるのか。肩書きよりもまず相手と向き合うことが大切だし、「伊藤美香子です」から始まって「カメラマンをしています」という順番かな。現場でもただの仕事相手だと割り切った付き合いではなくて、プライベートな会話も混ざり合うような温度感がありますね。

(つづく)